突然ですが、私はわりと「勉強のできる子」として子供時代や学生時代を過ごしてきました。
目ん玉飛び出るほど優秀とかではなかったですが(だったらいいよな!)、そこそこ上位をキープし続けて学歴優位の就活戦線も乗り切りました。
ま、今はすっかり会社員としては落ちこぼれですけどね!!

そして夫も、私以上に「勉強のできる子」人生を歩んできています。

そんな我が家の子供たち。
まぁ飛びぬけて優秀とまではいかなくても、(遺伝的には)中学くらいまではそんなに勉強に困ることもなかろうと楽観的なスタンスでやってきました。
実際現在小5の長男は、これまで学校の勉強はソツなくこなしてきており、成績もそれなりに良好。今のところ勉強面で心配したことはありません。
と言っても中学受験する子がほとんどいないような田舎なので、たかが知れてますけどね。

一方で、現在小2の次男。

長男のときと同じ感覚で勉強を見ていると、

アレアレアレ(´・∀・)?

と思うことがすごく多いのです・・・。

うーん。何と言うんですかね。

数字的なセンスは悪くないと思うのです。
習っていないような大きな数の計算も、自分なりに考えて答えを導き出したりはできます。
興味のあることに関しては記憶力もすごくて、図鑑の内容とかめちゃ頭に入ってて(しかも結構正確)、時々ビックリさせられます。

でも・・・。

壊滅的に読解力がない。

ように母には思えるのです。

なので、算数の文章題の意味が理解できなかったり(かみくだいて説明してあげれば解ける)、話の行間を読むような国語の問題(どうして〇〇は〇〇したのでしょう?みたいな)だと途方に暮れたりということが多々あって、私からすると、

え?なんでコレ分かんないの?(;'∀')

と問いつめたくなることも多い。
この読解力対策についてはまた別途記事にしたいと思います。

そして次男の不遇な点は、先行する比較対象(=長男)がいるというところで、もし次男が第一子だったら「まぁこんなもんかな?」と流せたかもしれないことも、(特につまづかなかった)長男との比較で見てしまうことで、ついつい「どうしてできないの?」という思考回路になってしまうんですよね。
まぁそれも「たら、れば」ですけどね・・・。

(批判を覚悟で白状しますが)いくら説明してもなかなか理解できない次男にイライラし、声を荒げてしまったことや否定的な言葉を投げてしまったことも、少なからずあります・・・。
さすがに声を荒げてしまうようなことはまれ(2~3ヶ月に1度あるかないか)ですが、少しキツい言い方になってしまうことはわりとよくあるかも・・・。

後で冷静になってみると、まだ小学校低学年の次男に対して、勉強自体が嫌いになってしまいかねない接し方をすることは百害あって一利なしと反省するのですが、真っ最中はなかなか冷静になれなくて・・・。

そんな中、こちらの本を読みました。

 
ルポ 教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち [ おおた としまさ ]

ギョッとするタイトルですが、私自身の次男への接し方の戒めになるかもしれないと手に取った一冊です。


「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行ういきすぎた「しつけ」や「教育」のことである。どこまでの厳しさは許されてどこからが教育虐待なのか、教育虐待を受けて育つとどうなるのか…。気鋭の教育ジャーナリストが壮絶な現場に迫りその闇を照らす「救済の書」。
商品説明より


要するに「子どもの受忍限度(我慢できる範囲)を超えて勉強させること」が「教育虐待」なのですが、受忍限度というのは人それぞれなので「教育」なのか「教育虐待」なのかの線引きは難しいところではありますよね。
スポーツ選手や一流大学合格者の親が子供に課した厳しいトレーニングや教育法が美談として語られたりしますが、それに耐えられる子供で結果として成功したから美談になっているだけで、一歩間違えば「それ、虐待では・・・」というレベルの話もありますからね。耐えきれずつぶれてしまった子供も少なからずいるのではないかと思います。

この本の中では、著者のおおたとしまささんが見聞きしてきた多くの「教育虐待」の事例が、かなりの紙幅を割いて載せられています(最悪の結末になってしまったものも含め)。本の半分近くは、事例に関連する内容かな?
それ自体ショッキングな内容ではあるのですが、まぁかなり極端な事例なのでそこまで我が事とは捉えにくい内容です。

それよりも、後半、子供を追いつめてしまう親の心理に迫っていく章で、「これ、私のことかも・・・」とヒヤリとさせられる描写が続きます。
虐待なんて他人事のような気がしていますが、「教育」が「虐待」に変わるその一線は渦中にいると分かりづらく、知らぬ間に一線を超えてしまっているかもしれない。「教育虐待」は他人事ではなく「すぐそこにある落とし穴」で、自分がその一線を超えていないか、既に一線を超えているのに気付いてないのではないか、ということは常に留意していなければと痛感させられる内容なのです。

私にとって特に耳が痛いと感じたのは、

「どうしてできないの?」という凶器

という段落。

教育熱心すぎて子供を追いつめてしまう親がよくやってしまうパターンの1つが、「どうしてできないの?」なんだそうな。

上述しましたが、私はかなり無意識にこの言葉を口に出している(出していた)と思います・・・。
「これ、めっちゃ私のことやん。」と思ったので、ちょっと抜粋してみます。

「どうしてできないの?」と問いかけることは、わからないことが理解できない「親側」の未熟さの表れだとして、


「どうしてできないの?」と言われたって子どもは困ってしまう。本来であれば、「この子はなぜこんな簡単な問題が解けないのだろう。この子にとってはどこが難しいのだろう。どうやったらこの子にもこの問題の解き方がわかるようになるだろうか」と考えるべきどころであるのだが、つい「どうしてできないの?」というひと言に集約してしまう。すでにそこには「どうして?」という優しい問いかけのニュアンスはない。「こんな問題ができないあなたはバカだ」という含意が、子どもを直撃する。

(中略)

「どうしてできないの?」と言われても本人にはどうしようもない。なんの解決にもならない。それどころか、問いつめられれば問いつめられるほど頭の中は真っ白になる。まったく非建設的である。


いや、全くもってその通りですよ。
そりゃ「どうしてできないの?」なんて言われたってどうしようもない。
勉強だからついつい言ってしまいますが、たとえば短距離走をやっていて「どうして速く走れないの?」って言われたら「そんなのできねーもんはできねーんだよ!!」ってなりますもんね。
「できない」側に理由なんて分からず、「どうしてできないの?」と問いかけることは追いつめることにしかならないわけです。

ついついポロっと口に出てしまいそうな言葉なのですが、グッと我慢して飲み込むように意識を変えました。

その他にも「あぁ、これは意識しておかないと」と思う箇所はたくさんあったのですが、もう1つ、覚えておきたいと思ったところを抜粋しておきます。

教育虐待に陥らないために親が自分自身に問いかけるべきこととして4点。


(1)子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?

(2)子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?

(3)子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?

(4)子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?


これができていないということは、親が子どもの人生に依存しているということであり、共依存から虐待は始まるということだそう。

うーん・・・。この4つを見て、「自分は大丈夫!!」と断言はできない・・・。
特に(3)はちょっと怪しいなと思いました。
私がここまで生き抜いてくる中で「勉強ができること」で有利だった場面は多々あり、その成功体験を子供にも投影している部分はやっぱり少なからずあると思うからです。
自分は自分、子供は子供!
別の人格、別の人生!
ということは、事あるごとに自分に言い聞かせないといけませんね。

ということで、うまくまとめられませんでしたが、次男がまだ低学年のうちに自分への戒めとなるような本に出会っておいて良かったと思います。
高学年で勉強が難しくなってくると、余計イライラしてしまいそうなのでね!

いろいろ書きましたが、私自身は決して教育熱心な親というわけではなく、どっちかと言うと適当な方です。
ワーママブログ界隈でアレコレ教育について書かれている記事を見ると、「みんないろいろ調べて実践していてスゲーな」と感嘆してしまいます・・・(;'∀')

以上、そんな最近の教育&読書ログでした。

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